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[Q&A] クリント・イーストウッド:『スペース カウボーイ』(3)

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光を見て、動きを決めて、撮影する。
私は自分でその決断を下すんだ


──あなたは撮影中(映像確認用の)モニターを使わないことで有名な数少ない監督です。

クリント・イーストウッド 最初の『恐怖のメロディ』(監督デビュー作)では使ったんだよ。その次の映画(ウィリアム・ホールデン主演の『愛のそよ風』日本未公開)でも使おうと思ったんだ。そこで気づいたんだが、俳優たちがみんな背後からモニターを見ようと殺到していたんだ。私の肩越しにモニターを見ている人がいるのはあまり愉快じゃない。「俺はもっとうまくできるな」とか、「思ったほどよく映っていない。髪を直して取り直そうか」と言ったりするんで、「いやいや、その判断は俺に任せてくれ」と言って、その場でモニターのスイッチを切ったんだ。

 以後、モニターを使うのは私自身のショットだけだ。自分を客観的に見なければならないし、それはちょっと難しい判断を迫られるからね。私が考えるに監督の仕事は、最終判断を下すことだと思う。そうした判断が下せないなら監督をやるべきじゃない。光を見て、動きを決めて、撮影する。モニターを見ないと自信がないとしたら、それはカメラオペレーターや照明を、ひいては自分の目を信頼していないことになる。信頼できないなら何かが間違っているんだ。信頼なくして映画は作れない。だから私は自分で決断を下す。自分がショットに映っているときは少々厄介だがね。それは、むしろ自分の演じている人物についてのものだ。そして長年やっていると、自然と多くを学んで慣れていくものなんだ。

──人物の撮り方で留意している点はありますか?

クリント・イーストウッド この世でいちばん簡単なのは、映画を全部シングルカット(被写体がひとりの画面)で撮ってしまうことだ。ある場面を撮る場合、彼のシングルカット、私のシングルカットというふうに撮る。これは簡単だが、いい加減飽きてしまう。一方で、2人の人物をひとつのショットで撮れば、そこで2人の人生を同時に見ることができて、2人は映画のなかでオーバーラップする。私はクロースアップがあまり好きではない。テレビではよく使われるが、映画作りとしてはまったく退屈なやり方で何の深みもないからね。クロースアップを撮るにしても、2人の人物を近づけて、その2人を「寄り」でとらえるほうが好きだ。このほうが難しいのだが、うまくいけば同じ2人をいくつかのアングルに分けて撮っても、観客はそこにカット(切れ目)があるのをほとんど感じないだろう。

 シネマスコープの水平方向に広い画面を使うときには、シングルショットはとても難しい。何かを強調しようというときは別だが。たとえばあるひとりの人物だけを見せたくて、そこに邪魔になるものが入って来てほしくない時だとかだ。こういう選択を常にしていなくてはならない。これは完全に撮影段階と編集段階における選択の問題だ。私は初期のテレビ(『ロー・ハイド』)で俳優になったからよくわかる。テレビでよくやるシングルショットに、部屋に入って、そこで一息ついて、すぐ出ていくのがある。こうして部屋に入るところから出るところまでを一緒に撮ってしまうんだ。これは映画作りとしてはとても退屈なやり方で、なんの深みも表現できない。でも当時のテレビはスピードが第一で、誰も深みのことなんて興味を持っていなかったからね。短時間にできるだけたくさん撮ってしまうことだけが重要だったんだ。しかし私は、何度かテレビを演出したときも、人物同士を近づけて一緒に撮るようにした。

──そのカメラワークについてですが、初期の頃はブルース・サーティーズと、最近はジャック・N・グリーンが撮影監督をしていますね。この映画のガレージの場面でもローキー・ライティングが効いています(シャドー部分が強調された暗い画面になっている)。『許されざる者』でも素晴らしかったですが、光の効果についてどうお考えですか。

クリント・イーストウッド 私にとって、映画とは視覚以外の要素も含まれるものだ。音であるとか……。だから時には見せすぎないで、音の方を前面に出したいと思うときがあるんだ。また別の時には、音ではなく視覚を前面に出すこともある。つまり場合によるというだけのことだ。あのガレージの場面は、2人の人物が喋っているのが聞こえて、暗くてちょっと閉所恐怖症的な感覚があって……つまり2人は閉じこめられているわけだからね。それでもガレージのドアには少しは隙間があるから、ある程度光も入っている。逆にここで光を当てすぎるとウソっぽいシーンになってしまう。そしてドアが開くと、突然明るくなって、2人は再び現実に引き戻されれる。つまり、どんなシーンにもそのシーンにふさわしい固有のアプローチがあるわけで、私はただジャック(N・グリーン)に自分がそこで何を必要としているかを伝えるだけだ。何年か前に『バード』を作ったときには、「ジャック、この映画には白黒映画のような感じがほしい」とだけいった。カラーで撮影はしたけれど、衣装や美術も、カラーにおいて白黒に該当するような感覚で選んだ。この映画(『スペース カウボーイ』)の白黒のシーンはカラーで撮影したあと、デジタル処理で白黒にしたんだ。完璧な撮影だった。

私のスタッフはみんな情熱をもっている

──ジャック・N・グリーン(シネマトグラファー)の他に、長年組んでいるチームについてもうかがいます。彼らのあなたに対する貢献とはいかがなものでしょう。

クリント・イーストウッド ヘンリー・バムステッドは本当に長い間、プロダクションデザイナー(美術監督)として活躍していて、とにかく素晴らしいんだ。彼は86歳(現91歳!)なのに、とても自由な人だし、仕事が大好きだし……アルフレッド・ヒッチコックやジョージ・ロイ・ヒルなどと組んで、いくつもアカデミー賞を獲っている(『アラバマ物語』などで受賞)。そして今でも仕事が大好きで、そういう情熱的な人が私は好きなんだ。人間が仕事への情熱を失ってしまったなら、ほかの人間に任せるべきだ。でも私のスタッフはみんなそういう情熱を持っている。ジャック・N・グリーンも、編集のジョエル・コックスもそうだ。ジョエルは編集を愛しているし、私に対してとても誠実で、私を守ってくれる。誰かが私の映画を勝手にカットしたり、テレビ用に再編集使用する時など、彼は常にその現場にいて「待ってくれ、それはやっちゃいけない」と言ってくれる(笑)。それにいつでも新しい技術だとかを私に教えてくれる。こういう人がいるなら長年一緒に仕事をしたいし、毎回必死になって彼らを獲得しようとするわけだ。あるいは似たような人を捜す。私は以前にも偉大な美術監督と一緒に仕事をした。エド(ワード)・カーファニョだ。それにヘンリー・バムステッド、この2人が私が思いつく世界最高のプロダクションデザイナーだ。ジョエルは何年も前にフェリス・ウェブスター(編集者)のアシスタントとして私と会ったが、長いつきあいになった。当時からとても意識が聡明で多くを学ぼうとしていたし、(今では)本当に多くのこと(技術的なこと)を知っている。
──あなたのプロダクション「マルパソ」の映画は、常に同じスタッフであるか、またはそのスタッフの元で育った若い人間と組み続けています。そこからスタイルの一貫性ともいうべき〈マルパソ・ルック〉が生まれるのではないですか?

クリント・イーストウッド (スタイルの一貫性があるかどうか)それはわからない。私はそういうことのエキスパートではないし、エキスパートであるためにはもっと客観的に見ることができないといけない。もしかしたら、そういうものがあるのかも知れない。なかには多くを学んで、その先輩以上によくなる人もいる。ジャック・グリーンはブルース・サーティーズの元で、撮影監督のノウハウを学んだ。ジョエル・コックスもフェリス・ウェブスターの元で学んだ。彼らはとても有能な人たちの元で修行して、すぐれたスタッフになってくれた。その前任者が亡くなってしまったときに、彼らが周りにいてくれなかったら……! 私はとても幸運だったと思う。

一年のうち秋に撮影するのがいちばん好きだ

──絵画的な構図とライティングがあなたの映画のスタイルともいえます。あなた自身『アイガー・サンクション』で美術史家を演じ、『目撃』でも美術館に行き、絵を描く。視覚スタイルに絵画の影響があるのではありませんか?

クリント・イーストウッド (きっぱりと)それは影響されている。私は美術のエキスパートではないけれど、自分の好きな絵ははっきりしている。たとえば西部劇を作るなら、即座に最高の西部絵画は何かと考えるわけで、そうするとチャールズ・ラッセルフレデリック・レミントンの2人がいて、彼らのヴィジョンについて考えることになる。『アウトロー』のひとつのショットで、サンタリアという小さな町に馬で乗り込んでいくところは、チャールズ・ラッセルが絵に描いた光景そのままだ。撮影している時に、「これはまったくチャールズ・ラッセルだ。早く撮らないと光が変わってしまう」と思ったほどだ。ラッセルは常に前景を暗く、背景を明るく描くし、常に夕暮れか、夜明けだ。この時間の光が一番ドラマチックなわけで、私が一年のうち秋に撮影するのいちばん好きなのは、日が傾いているからだ。冬も同じで、このほうが側面からの照明が増えて、ドラマチックに見える。夏の真上からの光とはぜんぜん異なるんだ。

誰かがいいアイディアを持ちこんだら、
真っ先に盗むのが私だよ


──構図はご自分で決めるのですか?

クリント・イーストウッド ファインダーはのぞくよ。私は「よし、この構図だ。ここからここに動いて、ここでこれをやる」とだけ指示をする。ジャック(・グリーン)がどんなレンズを使うかを決めて、時には私が「いや、違うレンズを使おう」と提案することもあるし、ジャックのほうが私が3インチのレンズと言ったのに対し「いや、2インチでいこう」ということもある。じゃあ「OK、それで試してみよう」と言ったりする。その後、別のレンズでも試すこともあるが、たいていは別のやり方もやってみるにしても手早く済ます。誰かがいいアイデアを持ちこんできたら、真っ先に盗むのが私だよ。すぐに「よし、じゃ、別のやり方でやってみよう」と言って、2通りでやってみたりする。

──あまりカット割りを好みませんね。

クリント・イーストウッド それはシークエンスによるよ。場合によっては細かいカットの連続で何かを強調しようとする時もあるし、ずっとカメラを回しっぱなし(長回し)にする時もある。(会話シーンで)一方をシングルショットで撮り続けていても、別のカメラで撮っているリバース(切り返し)では人物が近寄ったツーショットにしたり。それから、時にはセットの一方から撮った後で、その反対側から撮りたいと思うこともある。初期の映画では──これはヨーロッパでも同じだと思うが──かなりセットの制約を受けることがあった。つまり、セットは壁が三方とか二方にしかないので、反対側の壁を撮れない。だが観客に映画の中に入り込んだような感覚を与えるには、常に同じ方向からシーンを見せて覗き見しているような感覚を与えるよりも、こっちから撮ったら今度はこっちから撮るというように、シーンをカメラで取り囲むようにして撮る方がいい。

時間が迫っている状況は
いつだってドラマを盛り上げる


──『マディソン郡の橋』や『トゥルー・クライム』では時間の経過がサスペンスを生みましたが、『スペース カウボーイ』の4人の男たちも、どっちが早いかとか「時間を競い合い」ますね。

クリント・イーストウッド 時間と競い合うということはとても重要なドラマチックな要素だと思う。たとえば『スペース カウボーイ』でも、限定された時間内に解決しなければならない問題が浮かび上がる。30日の間に猛特訓をして宇宙に行く準備を済まさなければならない。まさに時間との闘いだ。『マディソン郡の橋』でも、あと1日か2日で、女性のほうの家族が帰ってくるわけで、そういう状況はいつだってドラマに何かをつけ加えるんだ。

『真昼の決闘』でも、時計が映って、悪党たちが何時のどの汽車に乗ってやってくるのがわかっていて、その時間内に事態に対処しなくてはならなくなる。時間が迫っているという状況はいつだってドラマを盛り上げてくれるんだ。『スペース カウボーイ』の場合でも、主人公たち4人だってもう歳だってことになっている。アイロニーにあふれているね。1年や2年先だったら、彼らにはチャンスすら巡ってこなかったかも知れない。映画のなかの敵役であるジェームズ・クロムウェルに主人公がこういういうだろ──「これを解決するのには時間は限定されているし、その間にも私は歳をとり続けるだけだ」と。

 そういう意味で、私はチックタック(時間が追いかける)サスペンスが好きなんだ。『トゥルー・クライム』に惹かれたのも、そういう理由からだ。ああいう冤(えん)罪事件は多い。最近もアメリカであったのだが、証人がよく見ていなかったか、ウソの証言をしていたんだ。死刑制度は、もしそれを認めるかどうかは個人個人それなりの考えがあっていいと思うが、だとしたら大前提として絶対に(判決が)正しくなくてはならない。疑いの余地があってはならない。そういうアイロニカルな場合があって、『トゥルー・クライム』の脚本に惹かれたのはそこなんだ。あることに見えたものが、実は別のことだった。目撃者の目が曇っていたんだ。彼らが自分の見たがっていたものを見ていたからだ。本当に何が起こったかは見ていなかった。ここには興味をひかれるものがある。イリノイ州の知事が現在、死刑をすべて延期にしている。そこに疑問の余地を感じたからで、だとしたら自分の政権が疑念の余地のあるものに関わりたくないという意志表示だ。どんな物語にでも「もしこうだったら」と考える余地があるわけで、自分がその状況にあったとしたら……あんまり愉快な話ではないだろうね(笑)。

──あなたの映画は政治を説いていないけれど、常にその映画が作られた現代についての映画でもありますね。

クリント・イーストウッド 時代もの、それが西部劇の場合でもかい?

──いや、とても現代的な問題について触れています。

クリント・イーストウッド そうだね。世界はそんなに変わっていないと思うんだ。南北戦争の後に起こった完全な混乱は、ベトナム戦争や朝鮮戦争の後に起こったこととそんなに違いはない。どんな戦争でもそれなりの実用性がある。硫黄島の戦闘の写真で有名になった星条旗を立てた男たちについての面白い本がある。第2次大戦をアメリカ側から見た本(『Flags of Our Fathers : Heroes of Iwo Jima(硫黄島の星条旗)』)なわけだが、あの旗を立てた男たちのひとりが亡くなった時に、屋根裏部屋に自分の記録をすべて残していた。子供たちはそれを読むことで、彼がどんな体験をしたのかを理解したわけだ。『マディソン郡の橋』の彼女(メリル・ストリープ)の遺族と同じにね。その話はとてもシンプルなもので、今でも通用すると思う。

[参考記事]イーストウッド「硫黄島」日米で製作(スポニチ 2005/04/07) 
[参考記事]Eastwood to make Iwo Jima movies from opposing perspectives(AP 2005/10/17)



人間は弱みを克服して見せるように振る舞うものだ

──俳優イーストウッドについてです。ヒゲを生やしたり、メガネをかけたり、そうした役づくりに関して、何か考えがおありですか?

クリント・イーストウッド 最初の仕事が俳優だったからね。ヒゲを生やしていたり、軍人だったり、その人物についての自分のヴィジョンを持たなければならない。そのヴィジョンを自分の内に感じられれば、その人物になることができる。変装している人間を演じるなら、その変装を信じられなければならない。コメディをやっているのなら、自分の変装を自分で信じられないでいることがそのシーンのリアリティの一部であるなら話は別だが。その場合でも、もしその人物になりきっていれば、手早くそこに自分を合わせることができる。なかには時間がかかる俳優もいて、変装が自分の一部になるのに一日かかるかもしれない。一方で、すぐにその状態になりきれる俳優もいる。個人個人によるね。

 私自身は、まあ早い方だと思う。時には少し時間がかかるときもあるがね。たとえば、片足が悪い人物を演じるときなんかはしばらくそのことを考えていなくてはいけない。さもないと逆の足でびっこをひくことになりかねないからね(笑)。それを意識しているようだとまだ不十分で、本当に足が悪いなら、弱々しくは歩かないはずだ。むしろ出来る限り速く歩くようでなければならない。問題があるなら、人間はその問題を克服して、それが問題ではないかのように振る舞うものなんだ。つまり俳優としてそれを演じることには、ある種自己反省的な要素がある。たいていの人なら弱点をさらけだそうとはしないはずだ。それを隠そうとするものだ。

──そうした抑えた演技スタイルは監督としてのスタイルにも通じますね。

クリント・イーストウッド それはありえるかもしれない。セルジオ・レオーネとやった映画のときは、60年代の半ばだったが、私の演技も少しばかり様式化されていたけれど、映画そのものもだいぶ様式化されていた。私は普通のリアルな状態よりもさらに抑制された身ぶりで演じていたが、それは映画そのものがオペラ的な状況を描いていて、他の人間の身ぶりがむしろ大げさなものだったからだ。私がその正反対の極端に抑えた態度で演ずることで、面白いコントラストになったと思う。題材によってはもっとリアルに演じようとするし……。とにかく、自分にとってはナチュラルに演じようとするだけだ。ただ他の俳優ならもっと飛んだりはねたりするところでも、それはよりスタッカート的な(レガートの反対語)人の場合だが、私はむしろレガート的な(なめらかな)人間だ。多少は自分を反映しようとしているのだろうが、それは無意識なものだ。誰かがもっと神経質に演じてほしいと私に指示しているのでなければね。もしより神経質な人間を演じなければならないのだったら、別のインスピレーションを探さなければならない。自分の内にあるもののの中からね。

──そろそろ時間になりました。最後に、ホーク(トミー・リー・ジョーンズ)の顔がバイザーで隠され、そこに地球が映っているラストシーンについてですが……。

クリント・イーストウッド エンディングは観客それぞれに、好きに想像してほしいんだが、私が思うに、ホークは明らかに生きてはいない。しかし、彼の魂とか彼の何かが月の上にいる。ホークが夢見た場所にいて、地球を見ているんだ。フランク・シナトラ&カウント・ベイシー楽団の「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」をかけることで、そこにただよう死の匂いや陰惨さを取り除こうとした。たしかにホークが膵臓ガンに冒されていて、仲間のために自分を犠牲にしたことはわかっているからこそ、ラストで彼の顔を見せるのは間違いだと思った。ここに笑っている人もいるが(笑)……どんな見方をされてもかまわない。たぶん彼の魂は自分が生きている間になし遂げられなかった夢を実現して、そこで安らかに眠っているんじゃないのかな(笑)。 mousato1212


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