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[Star File] 奇妙な役者だよ、ピーター・ストーメア

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Peter Stormare

 1953年8月23日、スウェーデン生まれ。本名はペーター・ロルフ・ストーマレというらしい。スウェーデンの王立劇場に11年間所属。イングマール・ベルイマン演出の『リア王』や『ハムレット』など数多くの舞台に出演しているれっきとした演技派で、ベルイマンの傑作『ファニーとアレクサンデル』(1982)にも出演している!

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『ブラザーズ・グリム』で演じたカヴァルディはナポレオン軍に仕えるイタリア人将校で、「拷問を芸術の域にまで高めた」と豪語する〈拷問〉のプロフェッショナルでもある。フィレンツェ郊外シエナにある「拷問博物館」に行ったことがあるが、ルネサンス期のイタリアでは本当に芸術的な拷問が行われていただけに、このキャラクター設定は妙に説得力がある。

 なぜかドイツが舞台で、フランス軍の兵隊なのに……英語をしゃべるのがおかしい。それも強烈なイタリア語訛りで! ヅラを飛ばしては笑わせてくれる。『耳に残るは君の歌声』でオペラを歌ったジョン・タトゥーロに匹敵する「怪演」だった(どちらも奇異な役柄を好んで選んでいるようだから面白い)。mousato1212

ピーター・ストーメアの「怪演」リスト

ブラザーズ・グリム●ナポレオン軍に仕えるイタリア人将校、拷問師
マイノリティ・リポート●トム・クルーズの眼球摘出手術をするもぐりの眼科医
ダンサー・イン・ザ・ダーク●ビョーク演じるヒロインに純情を捧げる男
ミリオンダラー・ホテル●「5番目のビートルズ」と自認する男
ビッグ・リボウスキ●ドイツ人のニヒリストで、ポルノ男優
アルマゲドン●ロシア語訛りの英語を駆使する怪しげな宇宙飛行士
ロスト・ワールド●小便して小さな恐竜の餌食になるハンター
ファーゴ ●偽装誘拐事件に雇われてしまう無口な連続殺人鬼

[Review] 天才の話術についていけない『TAKESHIS'』***

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 ワーキングタイトルが、数学の「次元分裂図形」、アートの「反復されるパターン」を意味する「フラクタル Fractal」。題名が「たけしの複数形(の所有格)」なのはタイプミスではなく、人間が反復されて、たくさんの北野武(ビートたけし)が、岸本加世子、大杉漣らが登場する。人物の同じ造形パターンを借りて、エージェント・スミス同様に、「シミュラクル」の個性を楽しんでいるかのように、まさしく外見だけが同じの分身同士が出会うおかしみにあふれていて、俳優北野武は自在に遊んでいる。

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 随所に『ソナチネ』 『HANA-BI』『みんな~やってるか?』などの名場面を引用し、やすやすと自分の作品の世界観を解体し、新しい可能性を模索しているのがすごい。この「脱構築」の手法は天才の所業だろう。また、監督北野武の多重人格的な脳内イメージをのぞく楽しみもあり、脚本家チャーリー・カウフマン『マルコヴィッチの穴』)も真っ青な、奇抜なストーリーテリングにはただただ脱帽するばかりだ。

 気になったのがひとつ。拳銃をおもちゃのように扱うシーンを頻繁に登場させたのは少し残念に思った。『3ー4X10月』の金属バットのように、もっと日常的な道具で恐怖やスリルからかもし出される笑いを演出できる映画作家だけに、その場面だけは笑いがのど元でつっかえてしまった。mousato1212

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TAKESHIS' "Takeshis'"
日本 2005年 107分 
>ホームページ >映画予告編
>External Reviews(IMDb)
評点:★★★(3.0/5点満点)
監督・脚本・編集:北野武 プロデューサー:森昌行、吉田多喜男 撮影:柳島克己 美術:磯田典宏 編集:太田義則 音楽:NAGI 衣裳:山本耀司
出演:ビートたけし、京野ことみ、岸本加世子、大杉漣、寺島進、渡辺哲、美輪明宏、六平直政、上田耕一、武重勉、ビートきよし、高木淳也 、木村彰吾、津田寛治、芦川誠、THE STRiPES、石橋保、松村邦洋、國本鍾建、内山信二

[関連記事] たけし、自虐コメント連発、映画「TAKESHIS'」初日(スポーツ報知/Yahoo!ニュース)
[関連記事]映画の「抽象画」目指した「TAKESHIS'」(asahi.com)
[関連記事]北野武監督が新たに挑戦“体感映画”で「最後の締めくくり」(SANSPO.COM)

[Review] ほらの吹き方が加減気味な『ブラザーズ・グリム』***

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 ありえないことや、途方もないことを目の当たりにできる、スクリーン上で見る「ほら話」は楽しい。『バンデッドQ』『未来世紀ブラジル』『バロン』『12モンキーズ』……テリー・ギリアム監督の作品はいつだって、大ぼらをどうやってでっちあげるかが成功の鍵になっていた。それは彼のエネルギーと想像力に負うところ大で、他の監督にはマネできない視覚的な誇張は、破天荒で突拍子もないほど、ファンタジーと諧謔(ユーモア)を見事に融合させてきた。

『フィッシャー・キング』のグランドセントラル駅での幻想的なワルツがその好例だ。ギリアム映画の主人公はしばしば美しい“まぼろし”を見る。ホームレスの主人公ヘンリー(ロビン・ウィリアムス)は、やることなすことが微笑ましく映る女性リディア(アマンダ・プラマー)に恋をし、華麗な円舞を夢想する。また聖杯探しに奔走する。もうひとりの主人公ジャック(ジェフ・ブリッジス)にとって、空想と現実の区別がつかなくなったヘンリーの常軌を逸した行動は狂気の沙汰としか思えない。だが、ヘンリーの狂気はやがてジャックに伝染していく。

 そうした狂気と正気のはざまで、ギリアム映画の人物はやんちゃに、自由奔放に、ハチャメチャな行動をする。

 ジョニー・デップ主演の『ドン・キホーテを殺した男』を未完に終わらせてしまった(その顛末が『ロスト・イン・ラ・マンチャ』に描かれる)監督自身の人生そのものが、どの映画の主人公よりも、波瀾万丈のファンタジーに乗っている気がするのだが、そんなギリアムが7年ぶりに挑んだ新作が『ブラザーズ・グリム』である。「赤ずきん」「白雪姫」「シンデレラ」で有名なグリム童話の世界を彼が選んだのは賢明な選択だった。

 メルヘンの世界──まだ呪文や魔法が信じられていた時代である。舞台となる19世紀初頭、ナポレオン率いるフランス軍占領下のドイツの村々は“魔の森”に囲まれていて、そこにはグロテスクな奇譚が転がっている。作り手がイマジネーションの極限まで視覚的な誇張を詰め込める最高の題材だ!

 社交的で現実主義者の兄ウィル(マット・デイモン)と、架空の物語が大好きなロマンティストの弟ジェイコブ(ヒース・レジャー)の、グリム兄弟──実在のグリム兄弟はヤコブが兄、ウィルヘルムが弟だが──は、ヨーロッパを転々としながら、のちに「グリム童話」になる各地の昔話を収集している。時に魔女退治など奇っ怪な事件の解決も買って出るが、それが二人の仕掛けた狂言的なお芝居というのが面白い。そう、彼らはペテン師なのだ。

 詐欺師、または民話に登場するいたずら好きのことを「トリックスター」というが、そうしたシチュエーションに兄弟を落とし込んだアイディアはうまい。兄役のマット・デイモンは『ボーン・アイデンティティ』の寡黙でストイックなスパイとは逆に、雄弁家で好色家。弟役のヒース・レジャーは『Rock You!』の勇敢なナイトとは逆に、いくじがなく男根的な突破力がない。

 こんなおよそヒーローには感じられない兄弟を「冒険家」に仕立て上げてしまうのが、ピーター・ストーメア演じるカヴァルディの存在なのだ。このフランス軍に仕えるイタリア軍人は、「拷問を芸術の域にまで高めた」と豪語する拷問のプロフェッショナル。強烈なイタリア語なまりの英語でまくしたて、かつらを飛ばしては笑わせるコミックリリーフ的存在だ(ジョン・タトゥーロの域にまで達した怪演だ!)。グリム兄弟のペテンをあばこうとするこのイカレた男によって、二人はペテンが通じない本物の魔女にイヤイヤながら立ち向かうはめになる。鏡の女王(モニカ・ベルッチ)が棲むマルバデンの「魔の森」で起こっている少女連続失踪事件の謎解きを命じられるのだ。

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 少女が突如のっぺらぼうになったり、エグいコケオドシ的な見せ場もある。また赤ずきんやグレーテルが森の中に消えていく場面の神秘的な光が美しい。フランス軍が「魔の森」を焼き払う場面で、のどかなロッシーニ作曲「どろぼうかささぎ」序曲(『時計じかけのオレンジ』での使い方も秀逸だった)を対位法的に使ったりと、ギリアム監督は稀代のトリックスターらしい片鱗を見せつける。

 ところが、めくるめくスリルライドになるはずの後半、物語が森の中に入った途端、ニュートン・トーマス・シーゲル(『Xーメン』)のカメラは輝きを失いだし、アーレン・クルーガー(『ザ・リング』)の脚本は発達不全状態になる。魔法で奇っ怪にうごめく『ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔』のエント族のような森の大木も、気色悪い虫たちも不気味な獣たちも、残念ながらこちらの想定内のイメージでしかない。

 グリム兄弟を現実主義者と夢想家に役割分担させたためか、デイモンもレジャーも、ギリアム映画特有の笑いを爆発させる「狂気」をまったくおびていない。そのため、胸がすくハッピーエンドへの推進力になるはずの2人が、だ。

 とはいえ、さまざまな「魔法」にコントロールされている現代にあって、〈魔法からの覚醒〉というテーマを再構築したギリアムの「毒」は健在だ。大ぼらが小ぼらになったのが本当に本当に口惜しい。mousato1212

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ブラザーズ・グリム "The Brothers Grimm" 
アメリカ/チェコ 2005年 117分
>ホームページ >映画予告編 >MovieTrailers 
>rottentomatoes.com >metactitic.com
評点:★★★(3.0/満点5)
監督:テリー・ギリアム 製作:チャールズ・ローヴェン、ダニエル・ボブカー 脚本:アーレン・クルーガー 撮影:ニュートン・トーマス・サイジェル 美術:ガイ・ディアス 衣装:ガブリエラ・ペスクッチ、カルロ・ポジオッリ 編集:レスリー・ウォーカー 音楽:ダリオ・マリアネッリ
出演:マット・デイモン(ウィル・グリム)、ヒース・レジャー(ジェイコブ・グリム)、モニカ・ベルッチ(鏡の女王)、ジョナサン・プライス(デラトンベ将軍)、マッケンジー・クルック(ハイドリック)、リチャード・リディングス(ブンスト)、ローラ・グリーンウッド(サッシャ)


[関連記事] ギリアム監督、世界の変人はジョーク連発

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[Note] ジャック・ドゥミ監督作『ロバと王女』とカラーの褪色について

 ル・シネマにてジャック・ドゥミ監督の『ロバと王女』を見る。ペローの童話「ロバの皮」を映画化したファンタスティックな作品で、ミシェル・ルグランの音楽が軽快で、心地いい。『ブラザーズ・グリム』に当てつけての公開じゃあるまいな。

 カトリーヌ・ドヌーヴは映画祭で何回もお見かけしたことがあるが、そのイメージとは真逆なカレンさ。コスチュームプレイだけど、美しさが際立っていた。思えば、『シェルブールの雨傘』『ロシュフォールの恋人たち』と、ドヌーヴ主演作で好きなものは全部ドゥミ監督作だった。

 今回、アニエス・ヴァルダとの息子マチュー・ドゥミが復元したデジタルリマスター版とのことだが、『シェルブールの雨傘』のヴィヴィッドな色彩感に乏しいのは、残念だった。ちょうどアメリカで〈ニューシネマ〉が始まったころのあの時代のカラーは、明らかに褪色が進んでいる。mousato1212

[Q&A] クリント・イーストウッド監督:『スペース カウボーイ』(1)

clint_eastwood長年やっていると、
自然に多くを学んで
慣れていくものなんだ


 映画ライター稼業を始めて早20年近く。プロフェッショナルに徹する意味で、サインをもらうのはたった2人と決めていた。ひとりはマーティン・スコセッシ師、もうひとりはクリント・イーストウッド師。それ以外からは絶対にもらっていない(ハーモニカ奏者トゥーツ・シールマンスにファンとしてもらったことはあるけれど)。

 今から5年前の夏、ワーナーブラザース宣伝部が粋な計らいをしてくれて、『スペース カウボーイ』の完成記者会見にぼくを招待してくれた。場所はテキサス州ヒューストン、ジョンソン宇宙センター。あのアポロ13号の奇跡の生還を見守った管制センターがある古ぼけた宇宙基地だった。記者会見には、クリント・イーストウッド、トミー・リー・ジョーンズ、ドナルド・サザーランド、ジェームズ・ガーナーの4人が顔を揃えた。世界各国から選ばれたジャーナリストが50人ほどいたが、何とか1つ、2つ質問できた。自分の質問に御大イーストウッドが答えて(ささやいて)くれたことにすっかり有頂天になったぼくは、会見後、サインをもらい損ねてしまった。

Space_Cowboys それから1ヶ月後、ヴェネチア映画祭に行く予定だったぼくに朗報が入った。オープニング上映に『スペース カウボーイ』が選ばれ、イーストウッド師はリド島まで駆けつけるという。映画祭が始まったオープニングデイの翌日、映画祭主催のワークショップが行われ、イーストウッド師が自身の映画観をたっぷり80分間もも語るシンポジウムが行われた。そして会見後、イーストウッド師はヒューストンからヴェネチアへ、世界を半周して追っかけをしている東洋人のぼくに、「Thank you」とつぶやいてサインをしてくれた。

 ここに採録するのは、昔むかし筆者が「映画バカ一代ドットコム」というサイトに書き記したイーストウッド師の〈肉声〉だ。その後、『ブラッドワーク』『ミスティック・リバー』『ミリオンダラー・ベイビー』といった快作を発表。70歳を過ぎてなお、イーストウッド師の手練の映画術はますます凄味を増してさえいる。これからのイーストウッド映画を読み解くための格好の教材として、めちゃくちゃ長文だけれど、採録させていただきます。

   *   *   *

 2000年8月30日夜、第57回ヴェネチア国際映画祭は『スペース カウボーイ』をオープニング上映に幕を開けた。そのセレモニーでは長年の映画への功績に対し、イーストウッドに栄誉金獅子賞があたえられ(プレゼンターはシャロン・ストーン)、イタリアのマスコミは、マカロニ(スパゲッティ)・ウエスタンでスターダムにのしあがった「帰ってきたヒーロー」を大々的に取り上げた。その翌日、映画祭主催のワークショップが行われた。列席者は《クリント・イーストウッド・トリビュート》(多くの代表作が回顧上映された)のディレクターの映画評論家ルチアーノ・バリゾーネとジュリア・ダグノーロ・ヴァーラン、『カイエ・ドゥ・シネマ』誌からニコラス・サーダ編集長とセルジュ・トゥビアーナの4氏。答えるは、われらがイーストウッドだ! 80分間のトークはわが映画人生最大の至福のときであった。

※この文章は『スペース カウボーイ』のパンフレットに掲載されたものを加筆・訂正、イーストウッドの生の声を集めた〈完全版〉です。翻訳を協力してくれた水原文人くん、Thanks!

(「映画バカ一代ドットコム」より)

   *   *   *


小説や脚本を読んで、
単純に面白いかどうかだよ


──どのように物語を選ぶのですか? 

クリント・イーストウッド それほど大げさな心理的プロセスはない。まず小説や脚本を読んで、単純に面白いかどうかだ。それしか考えない。主人公に興味がいだけるか、演出上でチャレンジできるものがあるか、それだけだ。自分向きのキャラクターでなかったら誰か人にやらせる方向性も考える。それから俳優としてなら、そうした物語をスクリーンで観たいと思うか、その物語の一部になれるかどうかが決め手だね。

 この主人公、フランク・コーヴィンの場合、まず彼が50年代に若者であった時を(観客は)見ているわけだ。現代では半ば引退、あるいは完全に引退していて、妻と暮らしていて、ガレージのドアもうまく直せないくせに技術者ということになっている。そんな感じのアイロニーが他にもいくつかあるからこそ、観客としてそこに共感できるとわれわれは確信したんだ。夢破れて40年経って、彼は結婚していて、子どもも孫もいるだろう。その間にいろいろ仕事をしていて、一般企業にも勤めていたかもしれない。そこまでは特定していないけれども、それでかまわない。われわれが観客として好きに想像すればいいことなんだから。重要なのは、観客が自分で勝手にそういう要素を映画に取り込めることだ。ある人はこう考えるだろうし、別の人は別なふうに考えるだろうし、そのどちらも正しいんだ。

──それにしても、魅惑的なキャスティングですね。

クリント・イーストウッド 彼らは私のファーストチョイスだった。幸いなことに、4人全員が引き受けてくれたので、最初私が決めた一線から下がる必要がなかった。みんな私の尊敬している連中で、ジェームズ・ガーナーとドナルド・サザーランドとはかつて共演したこともあるし、トミー・リー・ジョーンズは私にとってもいつも羨望の的だった。この手の映画としては、とてもいいアンサンブルになったと思う。他のキャストについても、望み通りにいった。キャスティングは鎖のようなものだ。小さい役の善し悪しが大きな役にも反映するから、すべてに気を配るようにしている。

まるで初めて演じているかのように
エモーションを十二分に表現できた


──その4人の共演が素晴らしいのですが、撮影の際は必ずカメラの前で入念にリハーサル(リハーサル段階から撮影する)をして、それでいて本番ではファーストテイクを好まれますね。

クリント・イーストウッド そのほうが強烈なインスピレーションを得られると思う。この映画について「まるで俳優たちが初めてそのセリフを口にしているようだ」とよく言われる。これは私にとって、最良のお世辞だ。まさに俳優が目指して努力していることだからね。つまりはエモーションを、まるで初めて感じているかのように演じること。多くの俳優は何度かはこの感覚を維持できるよう訓練している。だから私だって何度かテイクを回す。何度か誰にも気づかれずにカメラを回していたこともあったけどね。 彼らはみんな素晴らしい俳優たちだから、まるで初めて演じているかのようなエモーションを十二分に表現できたんだと思う。

──『スペース カウボーイ』で、フランク・コーヴィンのリベンジとは自分の夢を実現することです。『ブロンコ・ビリー』『センチメンタル・アドベンチャー』でも夢を追い続ける男たちを描きましたが……。

Space_Cowboys2クリント・イーストウッド その比較は、表面上は成り立つ。だがブロンコ・ビリーが夢見ているのは、もはや存在しない時代だ。あれは時代遅れのワイルド・ウエスト・ショーで、もはや誰も興味を持っていないものだ。でもこちらの『スペース カウボーイ』では、フランクは脅迫まがいのことをして本当に夢を実現する。そこに分析が成り立つとも思えないが、たしかに2人とも夢見る男で、夢を実現する。ブロンコ・ビリーの場合、それはキリスト教的な倫理観や仲間への忠誠といった道徳に基づいたものだ。この『スペース カウボーイ』の男たちも、やはり時代遅れの存在ながら、彼らの技術力は結局、今でも必要になる。彼らが大人としての行動をする限りにおいては、何らかの計画には役に立つわけだよ。

 フランクの要求はチーム・ダイダロスの復活と、かつて行けなかった宇宙に行くこと。彼は、自分と同じように宇宙に行く夢を絶たれたかつての仲間たちにある意味で誠意を感じている。最初に話がもちかけられたとき、彼はすでに引退していて、明らかにかつて自分のチャンスを奪われたことを恨んでいる。彼は頑固で、とても個人主義的な人間だ。こういうキャラクターは、私が以前にも映画で探求してきたものだ。

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